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世界のウォッカならびにアルメニアブランデーアララットシリーズを中心にブランデーを販売するショップです。旧・ロシアのお酒専門店からリニューアル中で順次商品を入れ替えてまいります。

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世界史の中のウォッカ その① -小町文雄書下ろし

世界史の中のウォッカ

ウォッカ誕生とビザンツ帝国滅亡

小町文雄

201610月1日

目 次

. ウォッカとはどんな酒か

   うわさのウォッカ

   ウォッカの飲み方

   ウォッカとロシア人

. 製法と起源

   製法と品質

   ウォッカの分身サマゴン

   起源をめぐる国際論争

もとは舶来技術

. オスマン帝国の脅威と東西キリスト教会

   キリスト教会の東西分裂

   モスクワ大公国

   オスマン帝国の拡大と瀕死のコンスタンチノープル

. イシードロス枢機卿とウォッカ

   東西教会合同運動とイシードロスの「転向」

   イシードロスのモスクワ訪問、そのときに

   コンスタンチノープル陥落とその後


 「世界史の中のウォッカ」とはおおげさにかまえたものだね。ウォッカが世界史上重要な役を演じたことがあったなんて、聞いたことがない。

 でもね、重要な役を演じたわけではないけれど、ウォッカの誕生のいきさつには、世界史を画したできごと、コンスタンチノープル陥落(つまり、ビザンツ帝国滅亡)と浅からぬ因縁がある。因縁といっても、もちろん因果関係とまではいかない。ウォッカはしかし、あの国際情勢の大激変に触発されるようにして生まれたのだ。

 そのウォッカは言うまでもなくロシアを代表する酒だ。未だになんとなく謎に包まれたようなところがあるのも、いかにもロシアくさいではないか。そのくせ、じつはもう少しで、自国産のあの酒を「ウォッカ」と呼ぶのを国際的に禁止されるかもしれないという、とんでもない目に遭ったことがある。ウォッカはそんな危機を乗り越えたこともある「苦労人」なのだ。

 しかも誕生以来絶えることなく、時の政府や領主による専売権に縛られ続け、ときには禁酒法に抑え込まれ、非合法密造酒に助けられて命をつないできた経歴をもつ。

 というわけでこの酒は、生まれも育ちもなかなか一筋縄ではいかないのだが、ま、あわてずにウォッカはどんな酒か、という話から始めよう。

     1. ウォッカとはどんな酒か

うわさのウォッカ

 ウォッカはとんでもなく強い酒だ、と言われる。日本だけではなく、世界中でそう思われているのだ。

 そのことをおもしろく描いた外国(ロシアでない)映画がある。名演技で英国貴族の称号を得たローレンス・オリヴィエが製作・監督・主演し、「世界の恋人」マリリン・モンローが共演した1957年製作の『王子と踊り子』だ。

 第一次大戦の少し前の時期、架空の東欧国家カルパチア王国に実力者の摂政がいた。この人物は王位継承権者「プリンス」にあたるので、この映画の題名は「王子」となった。ただじつは、15歳の現国王の実の父親なのだから、すでに中年になっていて、「王子」という日本語の語感にはちょっと合わない。ただまぁ、複雑な政治情勢と王位継承権上の理由でそういうことになったのである。

 それはともかく、この人がロンドンにやって来て、ほんの浮気心から下っ端ショーガールのモンローに手を出すのだが、その奔放な言動に振り回されて恋に陥るという、一種の「現代のおとぎ話」だ。

 摂政殿下は踊り子を陥落させようとして、ウォッカを飲ませる。「この酒は、グラスでイッキに飲まなければダメだ」。

 モンローが言われるままに1杯を飲み干し、さらに盃を重ね、「麻薬が回ったようになるわ」と半ばろれつの回らない舌で言うところがかわいい。結局4杯飲まされた彼女は倒れてしまうのだが、その間、急速に酔っていく中で、豊満な肢体と一見能足りんのような甘い口の利き方で、もちまえの魅力を存分に振りまいてくれる。

 それからどうなるか、って?そんなことはどうでもよろしい。欧米人がウォッカをどんなものだと考え、扱っているか、ということが、この際は重要なのだから。気になる人はDVDをご覧ください。

 ふつうの女性がたて続けに大きめのグラスに4杯飲んだらこうなるのはふしぎではない。しかしながら、ウオッカが特に強い酒だというのは事実に反する。ウォッカのアルコール度数は、特殊なものを除けばぴたり40%だから、ウィスキー、ジン、ブランデーなどの蒸留酒とほぼ同じなのだ。

 テキーラやマオタイ酒ともなると、銘柄にもよるが、多くは50%以上なのだから、それに比べれば、蒸留酒としてはいわば「並」の強さだ。

 ではなぜ、そんなにも強いとされるのか。その理由は、生みの親、育ての親であるロシア人の作法と飲みっぷり、そして、この映画のように、それを忠実にまねる人々の飲み方にある。もしああいう飲み方をするなら、ウィスキーだって、ブランデーだって、ラムだって、似たような酔い方をするだろう。

 ウォッカは熟成させた酒ではなく、純粋のアルコールにかなり近いので、ブランデーやウィスキーのように、少しずつゆっくり味や香りを楽しむのには適していない。口の中に放り込むようにして、喉ごしの刺激を味わうのだ。そういう飲み方をするのなら、刺激はウィスキーやジンよりもむしろまろやかだから、むせるようなことは少ない。

 ロシア風の宴会では必ず乾杯のことばとともに、出席者全員でいっしょに盃をあけるのが礼儀となっている。乾杯は最初だけにおこなわれるのではない。適当な間隔をおいて(というよりは、その席一番の飲兵衛が飲みたくなる度に)乾杯が提案され、客は毎回皆がくふうするしゃれた乾杯の辞に合わせていっせいに盃をあける。自分だけで勝手にちびちびやったり、乾杯をさぼったりしてはいけないのだ。

 酒に強くない人はこれについていくことができず、艱難辛苦を経験することになるから、「ウォッカは強い。とてもたまらん」という神話ができた。

 もちろん、グラス一杯を一気に飲むのはロシア人だけではない。西部劇の荒くれ男は誰もがそうしているし(あれはバーボン・ウィスキーだから、ほぼ同じ強さ)、スコットランドの人々もアイルランドの人々も、それぞれのウィスキーをストレートで一気飲みする。

 上の映画以外でも、登場人物(欧米人)がグラス一杯の蒸留酒をあおるように飲む場面にはよく出くわす。ただ、彼らがいつもそうするというわけではない。そういう飲み方をする理由があるときか、そうしてみせる必要があるときだけのようだ。しかもグラスはロシアみたいに大きくない。

 それもせいぜい一杯か二杯の話で、いつまでも続けるわけではないので、その酒が「やたらと強い」ということにはならなかった。

 ロシア人は宴会で延々とこれを続けるだけでなく、少人数やひとりで飲むときもこの流儀(グラス一杯グイとひと飲みの繰り返し)を崩さない。しかも一緒にいるのならこれに付き合わなくてはならないから、酒に強いロシア人でもしばしば壮絶な酔い方をすることになる。ロシア文学や映画では繰り返し出てくるおなじみの情景だ。たしかにこれを見たら、「ウォッカは強い」と思わずにはいられない。

 ロシア式宴会の作法に従わなくても、ウォッカはちびちび飲んだり、水やソーダで割ってもあまりうまいものではない。やはり、グイッとやらなければいけない。ここなのだね、最大の問題点は。

 グラスのサイズに応じ、回数(つまり総量)に気をつければ、そしてロシア式押し付けのないところならば、飲んでもだいじょうぶなはずなのだが、この飲み方だとついつい飲みすぎることになってしまう。それにウォッカのグイ飲みはやはりうまい…というか、快感を伴うからぐあいが悪いのだ。

 奈良漬を食べても赤くなる人では困るが、ウィスキーをそこそこに飲む人なら、逃げ回るほどのことはない理屈なのに、これだとつい不覚を取ってしまう。

 喉ごしの刺激が他の酒より弱いことも、油断を誘って飲みすぎの原因になる。ましてや、カクテルでジュース割りにでもしたら(たとえばスクリュー・ドライバーとか、ブラディ・メアリとか)、ほとんどの人が自覚できないうちに大量に飲んでしまい、あとで腰が立たなくなる。こんなふうにして「ウォッカは強い」という神話が定着したのだ。

   ウォッカの飲み方

 変な言い方になるが、ウォッカのうまさは、あまり味を感じさせないところにある。「きりりとした清澄さ」とでも言ったらよいか。だからロシアの農民と労働者ばかりでなく、貴族も、世を憂えたインテリゲンツィヤも好んだ。

 外国人では、ぜいたくな味に慣れ、世界中の高価な酒を知る人の中にファンが多い。「余計な味や匂いがしないからよろしい」とおっしゃる。

 飲み方は、やはりまぁ、ロシア人のようにするのがよいと思われる。まず、冷凍庫(冷蔵庫ではない!)に入れてギンギンに冷やすこと。取り出すとビンの周りに霜がつくほどに。これが快感を倍化させる。ロシア人が飲むときに必ずそうしているわけではないけれども。

 寒いロシアでは、伝統的な家の窓はたいてい二重構造になっている。今のようにしゃれた二重ガラスなんてものはなかったから、ふつうのガラス窓が、厚い壁にあけられた穴(窓枠)の外側にも内側にもあって、文字どおり二重になっているのだ。ふたつのガラス戸の間には20センチほどの空間ができるので(これが壁の厚さ、ということだ)、そこが冬の間は天然の冷蔵庫になる。

 食品なりビンなりを袋に入れて外側の窓の外につるせば、何もしないでも冷凍庫だ。なにしろ、外気温は零下20度なのだから。でもだいじょうぶです、ウォッカはそれくらいの温度では凍らない。

 ところで、ウォッカにはつまみが絶対に欠かせない。ロシア人がウォッカを飲むときには必ず何かを食べる。ロシア語の前菜「ザクースカ」というのは、「(酒を飲みながら)ちょいとつまむもの」という意味なのだ。

 最高とされるのは、古来キャビアなのだが、ロシアで親魚のチョウザメがほぼ絶滅して以来、宝石並みに高くなってしまったので、ここで扱うのは止めておこう。絵に描いた餅になるだけの話だし、他にも悪くないつまみがいくらでもあるのだから。

 ロシアの庶民がウォッカの伝統的なつまみの代表としてあげるのは、なんと酢漬けのきゅうりなのだが、そんなものでコップ一杯のウォッカをあおるにはかなりの実力が必要だ。私たちはやはり、あぶら味の強い、こってりとした味のものと一緒に飲む方がよろしかろうと思われる。何もなければ、黒パンにバターを塗ればよい。

 鮭のたまごであるイクラはキャビアに劣らずうまい。ロシアで売られるイクラは日本のものと違って少し発酵させてあるので味が強く、ウォッカの肴としてなら、あっさりとした日本のイクラよりもおいしい。ガーリック・トーストや甘くないクレープにホイップした生クリームと一緒にのせて食べると…たまりませんな。

 同じくロシア人が好むのはニシンの塩漬けだ。日本では新鮮なニシンが手に入るから、軽く塩漬けにし、刻んだたまねぎにレモンをしぼり、ニシンと一緒に一晩漬ける。これを、バターをのせた熱々のじゃがいもと一緒に頬張り、呑み込んだあとでギンギンに冷えたウォッカをぐっと飲み干すのだ。

 口の中で2種類の脂肪とすっぱみが溶け合った快感が消えないうちに、それを清冽なる液体で一気に洗い流す。こんなとき、他の酒ですむだろうか。

 もうひとつはサーロ。これは豚の脂身の塩漬けで、ロシアやウクライナの農民の冬の栄養源だ。加熱しないものと、ゆでて作るものとがある。ダイエット風潮の強い昨今の日本では眉をひそめられそうなシロモノだが、濃いにんにく味にも助けられて、加熱したものならしゃれたテリーヌかパテのような深い味がする。加熱しないものなら、脂肪の弾力がじっとりと舌に心地よい。未練を断ち切って、そのあぶら味をウォッカで流すわけだ。

 バルィクと総称される脂肪分の多い白身魚の塩漬け生干しもウォッカにぴたりだ。あまり濃くない塩漬けにしたうえ、ある程度干してある。日本の食品には、これに似た味と舌ざわりのものは見つからない。カレイの一夜干しは、作り方だけは似てはいるものの、まったく違うのですな、やはり。ロシアならチョウザメやオヒョウが定番だが、日本ならギンダラとかメロウとか呼ばれる脂肪分の多い魚で作ると、けっこうなものができる。

 そのほかにもいろいろなものがつまみになる。食糧事情のきびしかったソ連時代は、ありさえすればソーセージだって、ポテトサラダだって、何だってよかった。要するに何かをつまみながら、そして議論をしながら(酒席で議論をしないロシア人はいない)、親しい人たちとウォッカの盃を重ねてゆくのが、今も昔もロシア人の楽しみなのだ。

   ウォッカとロシア人

 めでたいから飲み、楽しいから飲み、悲しいと言っては飲み、つらいからと飲んでいるうちに、ウォッカはロシア人にとって欠かせない飲み物、人生の伴侶となっていった。しかしこの伴侶、おだやかに生活に寄り添ってくれるようなタマではない。しばしば強烈なパワーを発揮する。

 どの民族のどんな酒も、初めは酔いという非日常的感覚を体験できる呪術的・宗教的なものとして受け入れられ、受け継がれてきたのだと思われるが、発祥が比較的遅かったウオッカは、宗教的というよりも、庶民から上流階級の人々までが、きびしい現実と戦う、あるいはそれから逃れるときの相棒としてすがるものだった。

 この伴侶が力を振るう場面は、文学作品や映画に数多く見られる。これがなければ真実のロシア人の生活を描いたことにはならないからだろう。ゴーゴリにも、ドストエフスキーにも、トルストイにも、チェーホフにも、そんな場面は、例をあげるのがはばかられるほどたくさんある。

 ここでどれを例にあげようか迷ったが、ソビエト時代初期の風刺作家ゾーシチェンコに、うんと短いうえに、解説の必要がなさそうな飲兵衛話がひとつあったので、ちょっとした脱線部分を除いたほぼ全編をご紹介する。

 訳者は、筆者の恩師の染谷茂先生なので、訳文はいじってない。新仮名遣いにし、2、3の漢字用法を変えただけだ。ただし、理解の足しになりそうな注をつけた。はい、静聴。

レモネード

 おれはもちろん、左利きじゃありません。ときに飲むことはあっても、わずかなもんで――まぁお義理か、気持ちのいい一座のお付き合いに飲むだけです。

 一度に2本(注:1本は半リットル)以上はどんなにしてもいけません。身体が許しません。一度、憶えていますが、昔の命名日(注:自分の誕生日の代わりに祝う、同名の聖人の祝日)に1升ばかり頂戴しました。

 けれども、そりゃ若い張り切った時代のことで、胸の心臓は途方もなく鼓動し、脳裏にはさまざまな思想が往来していた時代のことです。

 今じゃ老い込む一方です。(中略)

 死ぬのは、もちろん、おれも好きじゃありませんや、おれは生きているのが好きなんですよ。(中略)そこで「まったくのところ飲むのはやめなけりゃならん」と思案しました。

 断然やめました。

 飲まないといったら飲まない。1時間飲まず、2時間飲まず、5時になって、無論のこと食堂へメシを食いにゆきました。

 スープを飲んで、肉の料理を食い始めました。――飲みたくなりましたね。

「ピリッとくる飲み物の代わりに何か軽い飲み物を飲もう。ナルザン(注:ミネラルウォーターの一種)かレモネードでも」と考えました。

 呼びました。

「オイ、料理をもってきたの、ひょうろくだま、おれにレモネードをもってきてくれ」

 しゃれ込んだ盆にのせて、もちろん、レモネードをもってきました。水差しに入れてあるんです(注:ロシアで水差しに入れて出すのはふつうウォッカかブランデーのみ)。小コップに注ぎました。

 一杯飲むと感じました。どうもヴォトカらしい、とね。もう一杯注ぎました。たしかにヴォトカだ、ふざけやがって!と思って残りを注ぎました――正真正銘のヴォトカです。

「こらッ」と怒鳴りました。「おかわりもってこい」とね。

「どうもこりゃ」と腹の中で「ばかに運がいいぞ」

 またもって来ました。

 またこころみてみました。疑う余地なし――まごうかたなきヴォトカです。

 あとで、金を払うときになって、とにかく注意してやりました。

「おれはレモネードを注文したのに、お前は何をもってくるんだ?ひょうろくだまめ」て言ってやりました。

 奴さんが言うには、

「手前どものところではいつもレモネードと呼ぶことになっていますんで、皆さんご納得の呼び方なのでございます。もう以前からなんで…本物のレモネードは申し訳ございませんがおいてございません。お召し上がりになる方がございませんので」とこうなんです。

「おい、もうひとつ、最後のおかわり」とおれは言ってやりました。

 こんなわけで結局禁酒し損ないました。その志はまことに切なるものがあったのですが、ご覧のとおり事情に妨げられました。世間の波には抗しがたし、というやつです。従うより仕方がありません。

 映画にも愉快な場面がたくさんあるが、ウォッカの飲みすぎがそもそも話の土台となっている、きわめ付きの映画をひとつだけご紹介しよう。まだソ連時代の1975年に作られた長編映画『運命の皮肉』だ。日本でもDVDが買える。

 あまり酒に強くない男が、仲間内の恒例行事でおおみそかにバーニャ(ロシア式サウナ)に行ったときに無理に飲まされ、完全に酔いつぶれたあげく、間違って飛行機に乗せられてしまう。モスクワからレニングラード(当時。現在はサンクトペテルブルグ)に着いた彼は、タクシーの運転手に自宅の住所を告げ、無事に送り届けられる。

 そこは自宅とよく似た団地の、外見も内部の作りもまるでそっくりな建物だったので、よそへ来てしまったとは考えてもみないまま、赤の他人の家に入って、ベッドで寝込んでしまうことから始まるラブコメディーである。

 この映画は公開時に大ヒットしただけでなく、その後もずっと、おおみそかには必ずテレビ放映される国民的映画となった。これを見ないと新年を迎えた気になれない人がいっぱいいるのだ。

 ちなみに、ロシア語で「新年を迎える」というのは、親しい仲間が集まって、深夜0時を期して乾杯することだ。そのときには誰にキスをしてもよい、といううるわしい風習がある。テレビやラジオは、皆が待ち望むその瞬間に、モスクワ・クレムリンの大時計が打つ、割れ鐘の音のような時報を放送する。この映画にももちろんその場面が出てくる。

 この映画は冒頭で、ソ連社会におけるウォッカの飲み方、飲ませ方、酔いつぶれ方の典型を見せてくれる。この様子は、体制転換後の今でもそう変わっていない(少しおだやかになったという説もあるが)。

 皆でいい加減なことを言いながら、かばんの中に入れて持ち込んだウォッカ(サウナでは賢明にもウォッカは売らないので)を、飲んでいたビールのジョッキについで(つまり1回でも最低100ccにはなる)あおるうちに、主人公だけでなく、仲間そろって正体不明にぐてんぐてんになる。

 違う町なのに、住所、番地、建物の外観、廊下や階段の構造だけでなく、部屋番号から鍵まで同じ、というのは、よその国ならありえない不自然な設定のように思われるだろうが、計画経済下で新興住宅地が急増したソ連大都会の郊外ならいかにもありそうな話なのだ。

 それでも観客から出るかもしれない「不自然」の批判を恐れたのか、映画の冒頭では、それが少しもふしぎでないことだと説明するアニメが、軽快な歌と共に流される。

 買い物から帰宅した部屋の主は、奥の深いふしぎな雰囲気を漂わせる美人で、監督がその美貌と表情がもつ魅力のとりこになって、セリフを吹き替えるという無理なことまでして登用したポーランド人女優が扮している。

 帰宅してみたら、ベッドに見知らぬ男が寝ている、というのだから、当然カンカンになる。しかも相手は記憶喪失に近いほど酔っぱらっているのだ。当人同士が、何が起こったのかを納得するまでにも一騒ぎも二騒ぎもあって時間がかかるが、そこへ新年を共に迎える約束で女友だちのところへやってきた婚約寸前の男が異常に嫉妬深く、怒りっぽいために、話がややこしくなる。

 てんやわんやのドタバタ劇、無関係な第三者の闖入、ケンカと仲直りがこれでもか、これでもかと繰り返される。筋と呼べるようなものはない。

 ドタバタ劇ばかりではなく、途中で真冬の夜明け時、レニングラード中心部の名建築群が、厳冬の早朝の日差しと霧氷を通して叙情的に描きだされる部分が、話にほとんど関係なくしばらく続く。これはいわば、「道行」のような、「間奏曲」のようなものなのでしょうな。

 また、ところどころに主演の男女俳優がギターを爪弾きながら歌うしゃれた場面も挿入されていて、全体としてなかなか味わいの深い作品になっている。

 結局はめでたくもハッピーエンドで終わるこの映画は、ウォッカを飲みながらゆっくり新年を迎えようとしているロシア人観客を適度にはらはらさせ、笑わせ、納得させ、雰囲気に酔わせ…つまるところ満足させる。

 もっとも、ウォッカという飲み物がもつ魔力を身をもって知っているはずのロシア人たちを、笑いと安堵だけではすまない追憶や感慨や、人によっては忸怩たる思い出にも誘うから、その辛味もあって、この映画はこれだけの人気を保っているのだろう。

(つづく)

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